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ルールとか分担以上に「思い遣り」で動きたい

半年くらい前の事だったと思う

「形状記憶じゃなくて綿のYシャツを着たい」

と言い出したのは

 

それまで

如何にアイロンを掛けずに済むか

脱水速度や干し方に注意を払っていた私にとって

衝撃的な発言だった

 

「着てもいいし買ってもいいよ

その代わり私はアイロン掛け出来ないよ

それでも良ければ」

 

精一杯の返答だった

 

こんなに仕事や家事を抱えて

そこにアイロン掛けはほんとに無理…

 

主人は約束通り

日曜日の夜になると1週間分のアイロンを

まとめて掛ける様になった

半年間

ただの一度も

放り投げずにやり続けている

 

すごい継続力だと感心している

 

6月は

ヨーロッパ出張・東京出張で

相当忙しそうで

「最近休みの日にやりたい事が出来ないんだよね」

とポツリ

 

アイロン掛けが時間的に圧迫している事も

かなり大きいだろうが

もっと根本的に

精神的に忙しいんだろうと感じてしまった

 

私は困っている人が居るとついつい

見て見ぬふりが出来ないタイプなので

アイロン掛けもそうやって結局自分に

降りかかることが正直怖かった

 

だけど

いい意味でその不安は裏切られ

彼はやり続けたし

頼んで来たことは一度もない

 

(私がアイロン掛けが下手だからという理由も大きいだろうが…)

 

金曜日の夜

今週は今月の山場とも言える

新規講座2本が無事に終わった

ほっとした

 

みんなの元気な笑顔や

前向きな発言に

すごくパワーをもらった

 

毎晩毎晩

緊急かつ至急の案件に追われ続けて来たけど

ふと

一番身近な人を大切に出来ているのか?

と疑問が湧いて来た

 

土曜日は私の仕事の用事に

彼を付き合わせる

日曜日は彼の部下の結婚式

 

何か力になれないか?と思った

 

大嫌いで苦手なアイロンに手が伸びたのは

自分でも不思議だった

 

手を動かし始めると

そこまで嫌いじゃないのかもと

JAZZを聴きながら単調な作業に

心が満たされる

 

一緒に生きて行く上で

また

一緒に仕事や家事を進めて行く上で

ルールは多少必要かと思う

 

その方が合理的だったり

トラブルになりにくいと思う

 

ただ

いつもそのルールを守り続ける事が

果たして本当に幸せなのか?

時にして

出来ない相手を責める弊害も

出て来るんじゃないか

 

そんな風にも感じた

 

困った時はお互い様だし

やれる時にやれる事をやってあげる

 

自分の時間をほんの少し

誰かの為に使ってみる

 

相手の状況を

察してあげる

 

相手もものすごく頑張っている事を

理解してあげる

 

人である以上

杓子定規なことばかりではなく

思い遣りで物事を進めて行けないものか

 

そんな風に感じられる

気持ちの余裕が生まれたことを

ちょっぴり嬉しく感じられる

週末の夜だった